そしてここから、英才教育の始まりである。
どんな台だったか詳細は全く覚えていないのだが多分羽根モノ(当時は平台と呼ばれていた)だったと思う。いきなり球が上皿に入れられ、さあ打てといわれたが、思わずハンドルの支柱を回してしまい失笑されたことを今でも鮮明に覚えている。その後は、師匠がストロークを合わせてくれて、一言。「球の流れをずっと見ていろ」と・・・。残念ながら台の詳細は覚えていないのだが、羽に拾われる球の流れを追うようにとだけ言われたのは何となく覚えている。そして私はご想像の通り当時のファミコンなんかと同様に、完全にその依存症となってしまったのである。そして、事もあろうに少しだけ学校がつまらなく感じていたような記憶もあったりする。
つづく・・・