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きっかけ③

ceramic clay pottery art old 3050615
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 そうこうしているうちに、なんと大した田舎の地元にそこそこ大きめの一軒のパチンコ店ができた(さすがバブル期?)。いうまでもなく、師匠は仕事がない時はほぼ入り浸っていたが、時々私を誘ってくれることがあったのだが、それが待ち遠しいのなんの。ちなみに親も所謂パチンコ好きだったが、いくら古き良き時代とはいえども流石に地元ということもあり田舎独特の監視のような人間関係もあってか親にはほとんど連れて行ってもらうことはなかった。

 師匠との連れパチもだんだん慣れてきて、釘を見てもらい与えられた台を普通に打ってはいたが、思ったうように出ないためか痺れを切らした師匠が途中で交代する場面がしばしばあった。そんなとある休日のお昼過ぎくらいから出向いた時だったと思うが、いつものように平台を打つように命ぜられたのだが、その日はいつもと一味違った。ものの3時間くらいで「定量」目前くらいになると、見慣れたガキとはいえ、さすがに席の後ろに数人の大人たちが見物に来てしまい、自分自身が出玉スピードにもびっくりしたせいもあり、ちょっと怖くなって離れた島にいる師匠に報告にいったのを覚えている。席までに一緒に来てくれたが結局は最後まで打ち切るように命ぜられ、その後ほどなくして人生初めての「打ち止め」とあいなった。その後景品交換をして師匠のところに持って行ったのが、なんと全額私にくれたのである。とはいっても当時は良くても2.5円交換だったのでせいぜい7~8千円くらいだったかな・・・。ま、小学生にしたら超高額だけどね。

 完全にパチンコでお金を稼いでしまったせいか、その日からというもの、私は完全にこの遊戯、作業、仕事の虜となってしまい、打ちに行きたくてたまらない欲求と、そして「釘読み」のある種の格好良さ(職人的な?)のようなものを追求していってしまったことは想像に難くない。どうして師匠は釘を見て出る台がわかるのか、それまで以上に気になり出してしまったのだが、最初の時と言われることは変わらずで、「球の流れを見るようにと・・・そして最も羽根に拾われやすいルートとどの釘に当たって拾われるか・・・」。だからなのか、いまだにそのクセは抜けないな。子供の無垢な吸収力のせいもあってか、「ぶっ込み」の重要性についても教わって、所謂「寄り」に関しては、その良否はだいたい判別できるようになっていた。そうなるとあとは、「鳴き」であるが、実は正直あまり教わった記憶が無い。師匠がタテの比較をしていくその後をついていきながら自分も確認していったような感じで、いつの間にか・・・かな。とにかく釘は毎回見るようにと言われたことはよく覚えている。といってもこの時まだ小6です笑。

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